NHKの報道が明らかにおかしい。
「政権への配慮」が露骨なのだ。
経営委員に「首相のお友だち」が多数送り込まれ、松本正之会長おろしが決定的になっていく流れと歩調を合わせて政権批判のトーンは影をひそめ、政治的な争点になりそうな問題については「うわべだけ」しか報道しない。
明確だったのは特定秘密保護法をめぐる報道だった。とりわけ「大人がじっくりと見る時間帯」の主力ニュース番組『ニュースウォッチ9』で、あからさまなほどの「配慮」が見え隠れする。
同番組は、自公両党が特定秘密保護法案の国会提出で合意した10月22日、「ホット炭酸」が流行している、という話題を長く報じた後に短く触れただけだった。それ以降の『ニュースウォッチ9』はテレビ報道の経験者としてみたところ、特定秘密保護法案に関して完全に「手を抜いた」と評価して良い。
特定秘密保護法に関しては、何が「特定秘密」に該当するかは、法律の根幹にかかわる重大な問題だ。ニュースで伝えるべき「肝」の部分だと言ってよい。
国民の知る権利に報道の自由がどういう場合に制限されるのか。西山事件のようなケースはどうなのか。TPPはどうか。尖閣諸島での海保のビデオは特定秘密なのか。原発に関する報道や情報配信はどこまで許されるのか。内部告発者の取り扱いはどうか。こうした問題が10月から12月にかけて、議論になった。国会でも議論になり、また、与党の責任者や大臣らも口にした。新聞も民放のニュース番組でもそうした争点についてときおり報道された。
ところが『ニュースウォッチ9』を始めとするNHKのニュースや報道番組ではそうした詳細が一切出てこなかった。「細かいことは報道しない」という姿勢が露わなのだ。国会での論議らしいやりとりが放送されたのは12月4日の党首討論ぐらいだろう。
その日でさえ『ニュースウォッチ9』の配慮はあからさまだった。
テレビ朝日の『報道ステーション』はトップニュースで党首討論を扱い、安倍首相がこの日になって初めて保全監視委員会などの組織名を明らかにしたという付け焼刃ぶりを報道した。この後で海江田・民主党代表による質問と安倍首相の答弁を長い時間をかけて放送。とりわけ、特定秘密の指定が適切かどうかのチェックをする機関を官僚が担う点を「官僚による官僚のための機関だ」とする海江田代表の追及に対して、安倍首相は防戦に回っていた。安倍首相の緊張している様子も映像で強調されていた。
『ニュースウォッチ9』はどうだったか。トップニュースは北朝鮮の権力中枢での粛清の話で、権力の不安定化によって安全保障面で不安が広がるとして、北朝鮮によるサイバー攻撃を特集した。元担当者の話として「日本もサイバー攻撃の対象」だとする内容。次のニュース項目がバイデン米副大統領による訪中で、中国による「防空識別圏」の問題。このように2つ続けて、近隣諸国との軍事的緊張の話だった。特定秘密保護法を早く成立させてアメリカと軍事的な情報を共有する必要がある、と暗に強調する並びだ。
その後で、やっと特定秘密保護法案の国会審議のニュースになった。『報ステ』ほど安倍首相や海江田代表の質疑のやりとりに長く時間を割いていないので、『報ステ』で印象づけられた安倍首相の緊張ぶりや苦しい答弁という印象はほとんどなかった。
NHKは、特定秘密保護法案の報道は、あくまで政治ニュースとして伝える姿勢に徹し、賛成、反対の各政党の声を伝えるものの、どういう問題点があるのか、弁護士や作家、ジャーナリストがなぜ反対しているのかに踏み込んで詳しく伝えることはなかった。
今回の法案審議でたびたび話題になった西山事件など過去における表現の自由の制限の歴史やそれに関する政府の見解や反対する人たちの見解を詳しく伝えることもしなかった。特に異様だったのは、どんなニュースでも記者や解説委員がスタジオに登場してきて解説するのがNHKのお決まりのスタイルなのに、この問題に関しては、審議途中での解説委員の登場はほとんどなかった。法案可決が確実となった最終段階でアリバイ程度に出てきたものの新聞の解説面をごく簡単にまとめたような浅い内容だった。
国民の知る権利にかかわる問題だという点を考えれば、「手抜きぶり」は犯罪的と言っても良いほどだ。
11月26日の衆院の安全保障特別委員会。12月5日の参議院の安全保障特別委員会。
「強行採決」が行われた日に他の新聞や民放のニュース番組が「強行」という言葉を使っていたのに、NHKは「強行採決」とは呼ばなかった。
これらの報道姿勢は、実は「NHKの新しい会長には安倍首相の意向を受けた人物が就任する」ということを前提として報道局の幹部たちが「配慮」したものだとNHK内で囁かれている。「みなさまのNHK」ならぬ「安倍さまのNHK」に変貌しつつあると。
具体的な名前はまだ分からないものの、どのみち「安倍さまのお友だち」がやってくる、と職員たちは覚悟していた。「後から偏向報道だと政財界に突っつかれるようなヤバいテーマには手を出さないに限る」というような保身が、一連の特定秘密保護法に関する報道姿勢につながったのは間違いない。
次期会長の具体的な名前が決定したのは12月20日。
NHK経営委員会が籾井勝人・元三井物産副社長を次の会長として選出した。直接的に安倍氏と接点がある人物ではないと言われているが、この10日前に安倍首相は東京・南麻布の日本料理『有栖川清水』で葛西敬之JR東海会長、古森重隆富士フイルムホールディングス会長と食事をしている。葛西氏は来年1 月24日で任期満了になる松本正之会長(元JR東海副社長)の元上司。古森氏は元NHK経営委員長で安倍氏とは昵懇の仲だ。ここで籾井次期会長の人事が首相の了解で本決まりになったと見られている。これでは直接的な「お友だち」でなくとも、安倍首相の意向を受けての会長人事といえるだろう。
さて、その籾井氏は、選出当日の記者会見で「公正中立」「不偏不党」という言葉を強調した。
「非常に重責のポジションであり、ぶれない経営をこころがけていきたいと思いますし、公正中立、不偏不党ということを確実に実行する必要があると思っております。常に原点回帰。それはつまり、放送法第1条、これに回帰することによって、NHK全体の力をそこに結集し、一丸となって公共のためにお役に立てるNHKにするという、こういう業界の文化をつくり出すことができれば大変に幸せだと思っている」。
「新会長」が強調した放送法第1条は、放送法の目的が記されている条文だ。
(目的) 第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。 1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。 2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。 3.放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
条文の全体では、「放送による表現の自由」や「健全な民主主義の発達に資する」という言葉も見られる。しかし、会見で籾井氏は条文から「公正中立」「不偏不党」という言葉をあえて強調している。ここからは、あたかもNHKの報道が「公正中立」「不偏不党」ではないとするかのような評価が見え隠れする。
週刊文春12月26日号には、「“NHK新会長”籾井勝人氏が語る『偏向報道』と『九州人脈』」という記事が載っている。
安倍首相がNHKの“偏向報道”を懸念しているようだが、という質問への籾井氏の答えは、NHKを含めてテレビの報道は偏向している、という見解を示している。
「それはNHKに限らず、テレビの報道は皆おかしいですよ。例えば、『反対!』っていう人ばかり映して、『住民が反対している』と。じゃあ何人デモに来ていたか、というのを言わない。僕は言うべきだと思っている。賛成と反対があるならイーブンにやりなさい。安倍さんが言っているのはそういうことですよ。何も、左がかっているから右にしろと言っているわけではないと僕は理解しています」
文春の記事を読む限り、籾井氏の言う「不偏不党」というのは、いろいろな問題を報道するにあたって、誰が賛成で誰が反対で、それぞれ賛成派と反対派の人数を数量的に明示せよ、というものらしい。長年、テレビ報道の現場に身を置いてきた経験で言うなら、こうした「不偏不党」の見識は主として映像を使うテレビうメディアについて無理解という他はない。
映像があり、放送する時間の制限もあるテレビでは、逐一、“数量的な公平”を意識していたら、モノを伝える、ということがほとんど不可能になってしまう。1つのシーンごとにそうした厳密な情報まで入れ込んで行ったら、ニュースの情報が膨大になってしまって、とても現在のニュース枠では足りなくなってしまうだろう。選挙期間中の選挙のニュースを思い浮かべてもらえばよい。それぞれの政党が言いたいことを言っている言葉を整理もせずに垂れ流すだけの報道。”数量的な公平“を言い出すとあのような無味乾燥な報道になりかねない。
NHKの報道が国際的にみても優れている点はどのドキュメンタリーの質の高さにある。ドキュメンタリーというジャンルは、1つずつ事実を積み重ねて展開し、取材の結果の「真実」や「問題提起」に収れんしていく。このため、個々のシーンごとに”数量的な公平”などを言い出したら作品は成立はしない。
籾井“新会長”が会見で強調したことがそのまま踏襲されるなら、下手をすると、これまで培ってきた「ドキュメンタリーのNHK」の伝統を根本から破壊してしまうのではないか。それがとても気がかりだ。
「公正中立」「不偏不党」を言うなら、特定秘密保護法案に関する報道を詳細に検証してほしい。『ニュースウォッチ9』を他の局と見比べてみてほしい。どこが「公正中立」で「不偏不党」だろう。
「ヤバいものには手を出さない」という逃げの一手を続けているだけなのだ。
「うわべだけの報道」に徹しているだけなのだ。
こんなふうに早くも”お利口さ”を発揮する記者や制作者ばかりで大丈夫なのか。
それが放送法第1条に書かれた。「放送が健全な民主主義の発展に資すること」になるかどうかは明らかだろう。
今後のNHKの報道姿勢は、視聴者の側から一つ一つ注意をして、おかしな方向へ向かわないように声を上げていくほかない。
NHKは国営放送ではなく、公共放送。
国家のためのものではなく、視聴者のためのメディアなのだから。